第7話 四人の被告

誓剣の回廊を抜けた先で、ガルドは靴底の下に灰の沈む感触を覚えた。

円形の法廷だった。壁沿いには、剣を膝に伏せた石像が並んでいる。どの顔も床へ向けられ、中央には人ひとり座れそうな空席だけがあった。空席は、エドガーが抱えた頁にある「王自身の命令」という文字へ合わせるように、鈍く脈打っていた。

『被告よ』

声は石壁からではなく、空席の底から響いた。

『王の死ではない。おまえたちが何を見捨てたのかを証言せよ』

灰の床に細い割れ目が走り、そこから黒い根がのぞいた。糸ほど細かった根は、ためらいもなく四人の靴先へ寄ってくる。

ガルドは傷だらけの丸盾を前へ出し、エドガーの前に立った。根が誰を狙うかはまだ分からない。それでも、紙を開くあいだくらいは守れる。

「根が来てる。エドガー、頁を開け。俺が前に立つ。リゼット、根の動きを見ろ」

リゼットは銀灰の長剣の柄に手を添え、短い黒髪を揺らして頷いた。

「ガルド、頼む。エドガー、語句を照合して。私は根が誰へ伸びるか見る」

エドガーは眼鏡の奥で頁を見た。色白の指には、いつものインク染みがある。記録帳を開き、王の命令の文と、灰の上へ浮かび出た告発の文を並べる。

ミアは口を挟まず、灰の流れと、根の先だけを見ていた。小柄な彼女の視線が、文字に向かわない。さっきから文字を見る者へ、法廷は悪意を向けているように見えた。

「一つ目は、王の死についての記述です。二つ目は、その後の――」

エドガーの筆が止まった。

灰に浮かぶ文字が、頁の文をなぞるように並び替わった。だが、同じではない。字の隙間から黒い染みが滲み、それぞれが別の形を取った。

ガルドの前には、彼が誰かを置き去りにしたような場面が映った。鎖帷子の重みも、盾を握る腕も、急に役立たずになった気がした。見覚えがない。なのに、胸の奥だけが、その光景を自分のものとして受け入れかける。

リゼットの前では、彼女の長剣が闇に沈んでいた。エドガーの記録帳には、彼が書かなかったはずの責任が列を作る。ミアの足元には、守れなかったものの名もない影が増えていく。

ガルドは歯を食いしばり、盾の縁を床へ押しつけた。

「見るな。エドガー、今だ。俺が時間を作る。リゼット、根の先を見ろ」

だが、時間を作るはずの踏ん張りは、幻を遠ざけなかった。黒い根が灰を割り、頁の端をかすめる。エドガーは文字を書き留めようとしたが、筆先が追いつくより先に語句が罪の幻へ変わった。

王の命令を記した頁は無事だった。けれど、その文を読み解こうとするたび、目の前へ別の告発が差し込む。王が何を命じたのかを確かめるために開いた紙が、四人の知らない過去を押しつけてくる。

同じやり方を続ければ、根は近づき、読む目はまた幻に奪われる。ガルドには、次にどちらを守るべきか迷う時間すら惜しかった。

そのとき、ミアが膝をついた。灰へ指先を近づけ、紙の端を押さえる。文字ではなく、紙の重なりと、根が灰を押す筋を見ている。

「文字は見ない。灰の流れと、紙の重なりを読む。私が頁の端を押さえる。エドガー、変化だけ書いて」

「ミアさん、お願いします。私は語句を読まず、黒雨や根が動いた瞬間だけを記します」

エドガーは返した。彼は告発の内容から目を背け、根が灰を押した位置と、頁がわずかに浮く順番だけを帳面へ写し始める。

ガルドは空席を見ないようにした。あの穴のような座へ目を向ければ、また違う何かを見せられる気がした。

「空席を見るな。根が灰を押した場所と、紙が浮いた順だけ教えろ」

ミアは答えず、指を進めた。彼女の目の色が、灰の上を走る細い流れに沿って変わる。黒い根の周囲には、見えない水脈のような筋があった。そこへ意識を寄せた瞬間、床石が低く鳴った。

足元が崩れた。

ガルドはとっさに盾をかざしたが、砕けた石片を全部は防げない。灰と石の混じった縁がミアの足場をさらい、彼女の身体が横へ傾いた。彼は腕を伸ばした。掴みきる前に、彼女の膝と肩が床石へぶつかる。

「ミア!」

彼女は息を詰めたまま、紙から手を離さなかった。小さな肩が震えている。傷を負ったことは、立ち上がろうとした足の鈍さで分かった。それでも彼女の指は、根が押し上げた灰の層を辿る。

思うように読むことはできなかった。床石は崩れ、黒い根はその隙間へ潜り、法廷に残された時間も削られていく。

だが、崩れた灰の下から、重なっていた紙の順が露わになった。

告発は、アステル王を殺したことそのものを裁いてはいなかった。

王の死を出発点にし、その後、封印を続ける役目を放り出した、と四人を責めている。王殺しという言葉は、次の封印の器を作るための前置きとして置かれていただけだった。

ガルドは、その意味を飲み込むまでに一呼吸かかった。

王が死んだことよりも、そのあと誰かが封印を保つべきだったこと。法廷はそう言っている。そして彼らを、空いた器に押し込むため、罪の形を整えようとしている。

ミアがようやく紙から手を外した。顔を上げた彼女の息は浅かったが、言葉は揺れなかった。

「王殺しじゃない。封印を続けなかった罪」

ガルドは彼女のそばへ半歩寄った。自分が前に立ったのに、彼女はまた傷を負った。悔しさが喉まで上がったが、今ここで謝れば、彼女にまた余計な言葉を背負わせる。

彼は盾を構え直した。

まだ、根は靴先へ伸びていた。

見破られた告発は消えなかった。灰の上の文は、むしろ輪郭を濃くして四人を取り囲んだ。

空席から、鐘守の声が降りてきた。

『ならば、ひとりを選べ』

声は最初、リゼットへ向かったように聞こえた。次にはエドガーへ、ミアへ、そしてガルドの耳元へも、同じ調子で届く。仲間ひとりの責任を認めるなら、失った記憶を返すという。

王が死んだ瞬間を返す、と。

ガルドの胸が、嫌なふうに重くなった。自分たちは顔に見覚えがない。それでも名を知り、互いの手つきや声に頼ってここまで来た。失くしたものがあるのは確かだった。だからこそ、その穴へ都合のいい記憶を押し込まれたら、見分けがつかなくなる。

リゼットが一歩、空席へ近づいた。彼女は剣を抜かず、外套の内から碑文の写しを取り出した。紙面を広げ、まっすぐに声のする場所を見た。

「鐘守、誰の記憶を、何と引き換えに返すの。私たちは一人では応じない。仲間を売る前提なら、ここで正体を明かして」

問いは法廷を横切り、石像の伏せた顔へぶつかった。

鐘守は答えた。四人のうち一人を責めるなら、その者以外の誰かに記憶を返す、と。返るのは王の死の瞬間だけ。その直後、何を選び、誰が封印を離れたのかは、空白のまま残る。

ガルドは眉を寄せた。記憶を返すと言いながら、肝心の続きを消したままにする。真実を知るための取引ではない。誰かの責任だけを先に決めさせ、残りを疑わせるためのやり口だ。

リゼットは写しを下ろさなかった。誰も、空席へ名を差し出さなかった。

エドガーも帳面を抱えたまま、記録をめくる手を止めた。ミアは傷めた足をかばいながら、根の動きを見ていた。ガルドは盾を前に置き、返事の代わりにその場を動かなかった。

やがて、鐘守の声が途切れた。

法廷が初めて静かになった。静けさは安心ではない。だが、切り分けようとしてきた声に、四人は切られなかった。

その沈黙のあいだに、エドガーが灰の裂け目へ目を落とした。先ほど露わになった根は、地下へ続いているように見える。

「一つ目は根の経路、二つ目は灰の乱れです。ミアさんは無理をせず、ガルドさんは後ろの足場をお願いします。私は先へ進み、動いた箇所を記します」

ガルドは頷き、丸盾を床へ当てた。崩れかけた石の端へ盾の縁を食い込ませれば、少しは踏み場を保てる。

しかし、根は追わせるために伸びているわけではなかった。

エドガーが裂け目のそばへ進み、根が灰を押し分けた筋を帳面へ記した瞬間、黒い根が膨れた。石の継ぎ目へ食い込み、床石をぎしぎしと締め上げる。

「下がれ!」

ガルドが叫ぶより早く、石が割れた。

支えていた盾が揺れ、灰まじりの水が裂け目から噴き出す。エドガーは帳面を胸へ抱き込み、後ろへ退いた。通路の一部が崩れ、地下へ下る道は水と灰でぬめった斜面になった。

根の行き先を読むどころではない。今のやり方を繰り返せば、次には人ごと落ちる。

ガルドは歯を食いしばった。自分が支えた足場を崩されたことより、また仲間を危ない場所へ立たせたことが腹立たしかった。けれど、根は地下へ逃げるように消えていく。ここで止まれば、黒雨の流れを知る糸も失う。

「ミア、無理はするな。乾いた根を添えるなら、俺が盾で足場を支える。根が動いたら、すぐ離れろ」

リゼットが崩れた縁と、闇へ消える根を見比べた。

「ガルド、支えて。ミアは根を添えるだけ。動いたら離れて。私は根の先を見て、貯水槽への道を示す」

ミアは返事の代わりに腰の薬草袋へ触れた。そこから乾いた根をひとつ取り出す。彼女は滑る床へ深く踏み込まず、黒い根の脇へそっと添えた。

ガルドは丸盾を床石へ押しつけ、足を開いて踏ん張った。盾の下から、崩れた石が小さく鳴る。エドガーは帳面を守りながら、文字ではなく変化だけを見ている。リゼットは最後尾ではなく、今は先の闇へ向けて剣先を低くした。

乾いた根が黒い根に触れた。

黒い根の表面を、黒い雫が走った。

雨は上から落ちるものだ。だが、その雫は床に落ちず、根の表面を逆向きに流って、裂けた基礎石の奥へ吸い込まれていく。

その向こうから、水音が聞こえた。細い滴ではない。地下に溜められた大量の水が、重く揺れる音だった。

ミアが雫の流れを追う。彼女の肩がわずかに強ばった。

「地下。大きな水槽」

彼女は息を整え、続けた。

「王根の貯水槽。根が続いてる。黒雨と、何かをつないでる」

ガルドの盾へ、地下からの圧がかかった。床石が、今度は内側から押し上がる。黒い根が割れ目を広げ、下へ通じる穴を開いた。

だが、穴が口を開いた途端、沈黙していた鐘守が戻った。

『最後の取引を』

空席の声に合わせ、告発の文字が根へ絡みつく。

『記録を完全なまま持ち去るなら、根を断て。流れは遅れる。だが法廷は閉じ、貯水槽へ至る近道も失われる』

黒い雫が、穴の闇へ滑り落ちる。

『根を残して下れ。貯水槽へ急げる。ただし告発の記録は根に呑まれる。「封印の継続を放棄した罪」を示す文も、二度と読めぬ』

ガルドは穴と、エドガーの抱える帳面と、灰の上に残る告発文を見た。

急げば、地下へ先回りできる。だが、何を止めるべきなのかを示す文まで失う。記録を取れば遠回りになる。黒雨がそのあいだにどう動くか、誰にも分からない。

足場はまだ、彼の盾の下で軋んでいた。

穴から吹き上がる湿った風が、灰を巻き上げた。黒雨の匂いが混じっている。

ガルドは、ミアの痛そうな足取りを見た。彼女はさっきの崩落で傷を負い、根を読むためにも無理を重ねている。それでも穴の闇ではなく、告発の文字を見ていた。手掛かりを失うことを、彼女は傷より強く嫌っているようだった。

「記録を残す」

ミアの声は短かった。

「黒雨の経路を失えば、止める手掛かりも消える。根を断って、遠回りしよう」

エドガーが帳面を抱き直す。濡らさないよう厚手の上着の内へ入れ、残された頁と見比べた。

「ミアさんの言う通りです。記録を失えば、百年前の選択を復元できません。根を断つなら、私が記録帳を守ります」

ガルドはすぐに頷けなかった。近道を捨てることは、ここにいる全員の時間を捨てることでもある。黒雨は待ってくれない。地下の水音も、石の内側の脈動も、急げと背中を押している。

だが、王の死の後で何が選ばれ、何が捨てられたのか。その記録を闇へ呑ませるのも、同じように何かを見捨てることではないかと思った。

ガルドは盾を根の脇へ寄せ、リゼットの方を見た。彼女は根の位置と、崩れた壁際の退路を測っている。言葉にはしないが、断つならどこから崩れるかを読んでいるのが分かる。

「やるぞ。記録を取る」

根は太さを増し、床石の隙間を黒く埋めていた。ガルドは盾で崩れかけた箇所を押さえ、リゼットが銀灰の長剣を構えるための場所を空けた。エドガーは帳面と頁を胸に抱き、灰の上に残る文字を守る。

ミアは傷ついた身体を引きずるようにして、根の流れを見失わない位置へ立った。彼女は自分の傷へ手当てを使わなかった。今は根を断つ瞬間を見逃さないことを選んだ。

刃が根へ入った。

黒い根は切れたところから黒雨を噴かず、逆に、その雫を奥へ吸い込んだ。床の下で、何か大きなものが身じろぎする。法廷の石像が一斉に軋み、伏せていた顔から灰がこぼれた。

「離れろ!」

ガルドが叫んだ。

法廷が崩れ始めた。根を失った床石が沈み、空席の周りから亀裂が走る。彼は盾を掲げ、飛んできた石片を受けた。腕へ鈍い衝撃が響く。リゼットも退路へ身を寄せ、エドガーは記録帳をかばって身を低くする。

ミアの足がもつれた。

ガルドは盾を投げ出さず、空いた腕で彼女を引き寄せた。彼女の身体は軽かったが、踏ん張る力が抜けていた。崩れた石の縁が肩をかすめ、彼女は息を呑む。擦り傷と打ち身だけでは済まないほど、先の無理が重なっているのが分かった。

「掴まれ。問題ない」

言ってから、彼は自分の声がひどく硬いことに気づいた。問題ないはずがない。それでも、今は彼女を立たせる言葉がほかに見つからなかった。

ミアはガルドの腕に体重を預けた。抗うような仕草はなかった。息を整え、根を断った先――閉じ始める穴の向こうを、なお見ようとしている。

告発文は消えなかった。エドガーの帳面と、守り抜いた頁に、その全文が残った。

代わりに、地下へ直通していた穴は、崩落する石と灰に塞がれていく。最短の道は閉じた。王根の貯水槽へ行くなら、法廷の出口から遠回りするしかない。

鐘守はもう取引を繰り返さなかった。空席は脈打つことをやめ、崩れる石の下へ沈んでいった。

ガルドはミアを支えたまま、法廷の出口へ向かった。

背後で灰の法廷が閉じていく。石の割れる音は次第に遠くなったが、完全には消えない。封じられた根が、地下のどこかでまだ動いているのだろう。

出口の先は、狭い地下水路だった。壁には湿り気が染み、足元には灰と水が薄く溜まっている。さっき崩れた道とは別の回り道だ。急ぐほど滑りやすい。

エドガーは帳面を濡らさぬよう抱え、少し先で足元を確かめた。記録を守れたことへの安堵は、まだ顔に出ない。守った文字が何を意味するのか、これから確かめねばならないからだ。

リゼットは一行を見回した。先に進みたい気持ちを抑えるように、剣の柄を一度だけ握る。

「エドガー、記録を守って。ガルド、ミアを支えて。私が最後尾につく。全員が揃ったら、貯水槽へ行こう」

ガルドは頷いた。ミアの身体を支える腕に、少し力を足す。彼女は自分で歩こうとしている。だから抱え上げず、歩幅だけを合わせた。

四人が揃って地下水路へ入ると、法廷の扉が背後で鈍く閉じた。

下方から、雨とは違う重い水音が響いた。さらに深いところで、石の内側を叩くような脈動が続いている。

根は、まだ貯水槽へ続いていた。